この道
今日、娘から「家に帰ってきてもいいよ」とのメッセージが届いた
純粋に嬉しかった。
わたしが家を出て4年と4ヶ月。長い時間が過ぎた。その間も娘は学校に通えず、心を病み、下らない男に捕まり、薬物に蝕まれていった。すべての発端はあのとき娘を叱責し追いつめたことだった。
精神科医の助言に従って家を出た。娘を守るためという建前もあったが、半分は自分の心を守るためでもあった。莫迦な論理で娘を傷つけたことに耐えられず、「自分のせいではない」と言い訳し、妻を責め家庭を壊した。やがて酒に溺れ仕事の主流からも逃げ出し、静かに堕ちていった。
失ったものは、あまりにも大きかった。
けれど、この世には失ったものが大きければ大きいほど得られるものもまた深くなる、そんな理があるのかもしれない。
この4年間で多くの人と出会い、彼らの声に耳を傾けるうちにわたしは自分の弱さを知った。強がりを捨てたとき、人に受け入れられるようになった。そして弱く矮小な自分を少しだけ好きになれた。そんな自分を莫迦だと笑ってくれる人に感謝した。
「すぐには帰らず、しばらくは家と外を行き来する生活にしたい」と娘に返事を送った。
あの子はきっと無理をしている。「聞き分けの良いいい子にならなければ」と、自分に言い聞かせているのだろう。わたしの娘だからきっとそう考えてしまうに違いない。
でも、本当はそうではないのだ。
いい子になる必要なんてない。むしろならなくていい。
なりたいと思える自分になること、それが大切なのだ。他人と比べるのではなく、自分自身に「自分はよくやっておりなかなか好ましい奴だ」と言えること――わたしはようやく自身がその場所に辿り着いた。
娘がそこに辿り着くには、今暫く時間がかかることだろう。
ともあれ
娘よ、よくぞ立ち上がった。
どれほど辛かっただろう。どれほど孤独だっただろう。それでもこうして「帰ってきていい」と言ってくれた。その一言に込められた勇気にわたしは深く心から敬意を抱いている。
そしてありがとう。生きていてくれて。
♪ ロンドop.16 F. Chopin
名状し難い喪失感
重宝して使っていた保温調理鍋の蓋が忽然と姿を消した。保温調理の際に蓋は欠くことができないもので鍋本体だけではその価値が半減する。温度を保つことができず保温調理鍋としての存在意義は揺らぐ。そんな大切な蓋が見当たらないのだ。キッチンはもちろん、押入れや食器棚、果ては冷蔵庫の中まで探したが、どこにもない。まるで蓋だけが意志を持ち、どこか遠くへ旅立ってしまったかのようだった。
物がなくなるという現象には、しばしば不思議な感覚が伴う。「確かにそこにあった」という認識が確かさを失い、過去の記憶さえ疑わしくなる。それと同時に、「そこにあるのが当たり前だった」物の存在感が失った瞬間に急激に膨れ上がるのだ。普段は目にも留めなかった蓋の形、重さ、そして少し擦れた取っ手の手触りが鮮明に思い出される。なぜもっと大切に扱わなかったのだろうと、過去の自分を責めるような気持ちにもなる。
この経験は物だけに限らない。人との関係にも似た感覚を覚えることがある。親しい友人、いつも気にかけてくれた家族、日々を共有していた同僚――当たり前のようにそこにあった日常が、ある日突然失われることがある。その理由が明確であれ、不意打ちであれ、付きまとう喪失感に違いはない。目の前から消えたその人の存在がいかに大きかったかを知るのは、いつだって「いなくなった後」なのだ。
鍋の蓋が見当たらないという出来事は、決して大きな事件ではないかもしれない。しかしこの日常における小さな欠落が私に示していることがある。当たり前のようにそばにある物や人の存在を、今この瞬間もう少しだけ大切にしようと。蓋は私の心に確かなる教訓を残した。
鍋の蓋はいつか偶然ひょっこりと出てくるかもしれない。それが今日かもしれないし、数年後の大掃除のときかもしれない。その日を楽しみにしつつ、今あるもの、今そばにいる人をもっと大事にしていこうと思う。
入居二年雑感
この部屋を借りてここに移り住んで二年が経った。便利な立地で買い物や移動に都合が良く快適な住まいと感じる。不満は殆ど無い。
この時間の経過をはや二年と云うべきか、或いは未だ二年と云うべきか。悩ましいところだが今改めて思い出そうとしても最初の一年のことはあまり記憶に残ってはおらず、この日記頼りな部分が多い。
やはり「はや二年」なのだろう。
この二年を通じて、記憶媒体としてのこの日記外で思い起こされるのはお酒との付き合い方だ。
当初はかなり節制した生活を送っていたが、夏頃より資金が回り始めたため夜の街に繰り出すようになった。まだコロナの暗鬱とした帳が街を取り巻いており大手を振って呑み歩ける状況ではなかったが昔馴染みの店はひっそりと営業を続けてくれていた。年が明け、冬季五輪の中継を観ながら店の常連達と呑む酒はざらついた心を大いに癒してくれたものである。
その時期に常連客や店舗関係者の間で幾つかの訃報や大病の話が相次いで出てきていた。しかしこの時はどのような人々の話なのかも分からなかったため心に留め置く程度だったのが思い起こされる。
思えばこれが今に通じる道の始まりだったのかも知れない。何となれば、その時の心の片隅にあった小さな思いに興味が惹起され、後の数々の出逢いがもたらされることに繋がったわけであるので。
そして六月以降は現在に至るまで数多の手痛い失敗を喫しつつも痛飲を重ね続けている。ただ結果的に大事に至ることなく息災に過ごせているのは随所で運が味方してくれたからであり僥倖というより他ない。それくらい酷い呑み方をしている。まあ、失うばかりではなく得られるものも多いのではあるけれど。
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凡そ酒などというものは人間関係の潤滑油として程々に扱っておけば無難なのであって、酔い痴れるために呑むなどというのはまさしく愚か者の所業である。理性ではそう思いつつもあれ程までに呑んでしまうのは何故なのだろう。
嫌なことを忘れてしまいたい?
淋しい現実から逃避したい?
それはあるだろう。
ただ付け加えるのであれば、酒場で繰り広げられる人間模様の楽しみだ。
なるほど、これらは確かに小説より余程奇なるものであり、人の営みの生気を直接的に感じられるものだ。酒場はあたかも一つの劇場のような領域として展開され、観客だった筈の自分が気付けば演者の一角として組み込まれている。
ああ、今自分はここに居る、確かに生きている。
そう実感する。
酒が暴き出す剥き出しの自分を受け止めてくれる名優たちの温かさ。抱擁力。
自分の歪な人間性を鋭敏に察知され叱責される厳しさ。
一つ一つが小職の勉強の糧でありときには反省の糧となっている(反省が生かされるかどうかは別としても)。
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はてさて、酒との付き合いは今後どのようになっていくのか。
流転する我が人生の場面場面でこれまでも色々な呑み方があったものだが、今この瞬間の雑感として本稿を記す。
いつか時が経ち、必ずそうなるであろう呑めなくなった自分はこれを読んでどう思うのか。
二度と戻らぬ過ぎ去りし日々を、二度と会えない人々を、懐かしく思い返しては苦笑しているであろうことを願う。
二年経過
家を出てこの日記を始めてから大方ニ年が経った。
たまに会う家内は変わらず美しいが歳は取ったなと感じる(人のことばかり歳を取ったなどと云うのも難があるから、自分についてもここ2年で老け込んだとしておく)。
相変わらず夢や希望はない。
ただ死なないから生きている。
毎日を過ごす。
それは変わらない。
ただ、二年もあればそれなりに色々な出会いがあるもので、言うほど寂しい生活を送っているわけでもない。
特に年明けてから数ヶ月、身辺が実に面白い状況になっている。ここに書けるようなことではないため詳述は避けるが、なんとも名状し難い奇妙な刺激に満ちている。
普通に生きていては直面できないような、極めて稀かつこの上なく光栄な状態ともいえる。
絶望の淵に佇む孤独の牢獄に立ち込める黒い霧を、猛々しい一陣の旋じ風が吹き払ったのだ。
今は落ち着きを取り戻しわたしの周囲を彼方此方へと渡るこの自由気ままな風が、この先何処に向かうか、行く先々でどのような物語を紡ぐのか、とても楽しみだ。
そして、可能ならば暗澹たる我が道にも、たとい僅かであっても、一筋の光芒がもたらされんことを。
♪ 演奏会用アレグロ Op.46
F. Chopin
2022年の年の瀬に寄せて
今年が終わろうとしている。
振り返るに諸々の思いが湧き上がるが、やはり今年を語るには或る人物との出会いに関して避けるわけにはいかないだろう。
その方には多くのことを教わった。
教わったと言えば過去のもののようではあるが、実際にはその教えは今も現在進行形であり、これでお仕舞いというところがない。そして振り返ってみてもそのたびに別の切り口から新たな教訓が湧出するために、毎日が自己の行いの反芻と自省の繰り返しとなっている。
仏教の信仰によれば人は死したのちに一週に一人、七人の賢者と邂逅して49日かけて涅槃に向かうというが、もし生きているうちにも七人の賢者に出逢うことがあるとすれば紛うことなくその七賢人の一人に数えるべき人である。
多くの教訓、多くの反省を与えて頂いた。
この不肖のわたしが真っ当な人間に成長して社会に貢献していくというこの道程に於いて、過去これほどにも多くの明示的課題を与えて頂いた賢人はいなかった。
極々瞬間の、刹那の心のやり取りに全てが込められている。人と人の繋がりは永劫のものではなく、刹那の繰り返しによる断片を紡ぎ合わせた極めて胡乱で、そして不安定なものである。だがそれこそが全てなのだ。それに癒され、ときに傷付き。
自らを省みて向上を計るべし。
我を捨て欲を捨て、極力多くの事象に目を向け耳を傾けること。新緑の馨しい五月の風の如く優しい人になるのだ。
自分探し
とある場所に格納されている過去の日記を読む。
2005年に始まり以後十有余年に渡って書き綴られている。楽しいことや皮肉めいたこと、驚いたことや当時の知見における考察記など様々だが、概して楽そうな雰囲気を感じる。
振り返ると如何に無計画に生きてきたかを思い知らされる。行き当たりばったりでここまでこれたのは我ながら大したものだと思う一方、もう少しなんとかならなかったのかと感じるところも多々あり複雑な気持ちが湧いてくる。
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日々を生きていくなか、人のとる行動は凡そ一挙手一投足に至るまでそのほぼ全てに「習慣」の成分が含まれると言っても言い過ぎではないのではないか。
階段を降りるときに右足から踏み出したかどうか。自動改札を通る際のICカードの認識のさせ方、電車の混み具合に応じた振る舞い方。
こうした習慣の積み重ねで日々の行動がなされ、考え方、感じ方によって意思決定がなされ、わたしの人生は良くも悪くも動かされてきた。そして今後も同様に動いていくのだろうと思う。
最近youtubeで興味深い動画を視聴した。
去る高僧が視聴者から寄せられた悩み相談に仏教の世界観を交えてアドバイスやエールを送るというシリーズである。その中で『自分』がないという悩みに対して
「確固たる自分などというものはない。常に周囲との関係性の中でいわゆる『自分』というようなものが構築されるだけであって、それは流動的なものである」
という言葉があった。
この言葉に続き、周囲が変われば「自分」もまた変わるという。
確かにその通りだ。
よい人生を送るために身につけたい習慣、などというと大袈裟でまるで自己啓発本のタイトルのようだが、悪い人生を送らないようにするために排除すべき習慣というものもまた別に存在するはずだ。
そしてそれは個々人によって異なるだろうし広く普遍化したら究極的には宗教家の生活のようになってしまうのかもしれない。勿論それは望むところではない。
しかし今わたしの視野で認識可能な明らかによくない自らの習慣を是正する勇気と根気強さを持とうとは思う。環境を変えることも可能な範囲で実践しようと思う。
うまくいかないにせよ、やってみよう。
ヨイトマケの唄
建築現場などでの地固めのとき、大勢で重い槌(つち)を滑車であげおろしすること。また、その作業を行う人。作業をするときのかけ声からいう。
美輪が銀巴里でシャンソン歌手として歌っていた頃、東大の建築工学科に通う学生と知り合いになったことがきっかけで本曲の着想に至ったという。
曲中ではある青年が幼少時に母親の職業をネタにいじめを受けたこと、そしてその悔しさを母親が懸命に働く姿を見て言い出せずに飲み込んだこと、またそれをバネに懸命に勉学に励み、高校大学を卒業して高度経済成長期に立派な技術者に成長した姿が描かれ、最後は「子供のためならエンヤコラ」というかつての母の掛け声を回想して締め括られる。
1964年に初めて発表され、それから半世紀以上が過ぎた今も人の心をとらえる歌と感じる。
仕事で遅くに家に帰りつき、家族と充分なコミュニケーショも取れないうちにまた翌日仕事に出かけるような日々を過ごされるビジネスパーソンも多いことだろう。
仕事の重責や諸々の心理的重圧から酒に逃げてしまう私のような者からすれば、毎日黙々と仕事に励む方々に尊敬の念を抱かずには居れない。
それでも、そんな私であっても、この歌には心打たれるものがあり、思わず目頭が熱くなる。
何故、何の為に日々を過ごすか?
ヨイトマケの母に学ぶことは多い。