明日の君へ

別居生活の記録

無題

悪弊に身を沈め自堕落な毎日を過ごし、そのことに対する自己否定を繰り返すことはある種自傷行為に近い快楽がある。
生きている実感と自らの生を自分が許容する安堵感の甘美な味わい。
抜け出すのは困難を伴うだろうがこの堂々巡りの迷宮から逃れたいと願い、複数の悪弊をまとめて一掃しつつある。
悪弊というものはお互いに連環し合い、あたかも渦のようになっている。一つを取り去ろうとしても、他のものが残る限り渦の勢いを止めることはできず、再び渦の中に引き摺り込まれてしまう。

全てを止めるのだ。
そして善習良俗を身に付けるのだ。

総武線の車窓から外堀の桜を眺めた。
あの1998年から24年の月日が流れた。
もういいだろう。これ以上自分を痛めつけ、苦しめなくともよいのじゃないか。ともすると何かを得るために犠牲を払うことに慣れ過ぎてしまっていたのかも知れない。

もうやめよう。
自分の身を切り刻むような生き方を止める日がきたのだ。